今回は、「スタッフに求められる気持ち」についてです。
私たちは、どう かかわっていけばいいのでしょうか?
平成27年春に開設予定のベネヴィータ王慈は、地域でお困りの高齢者だけでなく、障がい者・児が、ひとつの建物(家)のなかで生活する、岡山県初の形態として、皆の「居場所」づくりを目指していること。
加えて、瓢箪、薄荷、農産物栽培といった地産池消や就労支援活動、喫茶・交流ホールなどの場が、地域の方や高校生など、ここに集う人たちの「いきがい」・「やりがい」・「安らぎ」の場でありたいと考えていること。
こうした事業内容を説明した際の発言です。
初めてのことをやるのだから、期待と不安が入り混じり、イメージしにくいところがあると思います。
実際にやってみないとわからないことが多いことも事実ですし、今の時点では仕方のないことでもあります。
言葉で「こうだよ。」「こうあるべき。」と言ってみても、発言者の想いや考えがそのまま、受け取り手に伝わらない場合があるのが辛いところです。伝言ゲームではありませんが、情報共有や意思疎通の難しさは仕事でも遊びでも変わりません。
さて、その時は、法人理念の「こころゆたかに すこやかに」を前提として、もっと具体的にイメージしてもらうために、「自分自身が、その輪のなかに入って過ごしている、サポートしている姿を想像してみて。」と、目をつぶってもらいました。それぞれ、思い描く姿は異なるかもしれませんが、和気あいあいとか、ほんわかして過ごしているご利用者や自分が浮かぶのであれば、その光景を実現するために、皆で考え、行動し、近づけてほしいというような内容です。
前回(#5)の「チーム力」にも通じますが、ベネヴィータ王慈のコンセプトや想いを自分なりに解釈し、行動する必要性を話しました。
スタッフは、当然のことですが、介護保険法などの法律や指定・運営基準に基づき、高齢者部門、障がい者・児などの部門ごとに配属されることになります。
とはいえ、経験者であれ、新人であれ、「私は、高齢者部門の配属なので、他の部門のことはわからない。顔はわかるけど名前を知らない。」では、ベネヴィータ王慈で実現しようとしていることに近づけません。
「昨日は休みだったので、わからない。」とか、「私の責任ではない。」と言うのではなく、一緒に生活している人たちのことも心に留めておく、気遣うことがとても重要です。
勤務時間を何事もなく無事に過ごすことか、ルールやマニュアルなど、それだけをやっていればいいとか、こなしていればいい、ではよくありません。ご利用者の状態が変わっていく以上、ルールやマニュアルでさえ、改善していかなければ、サービスの水準の向上は望めませんし、スタッフ自身が成長しません。
医療機関や福祉施設に限らず、一般企業においても、多様な専門家がチーム一体で対応することで、最大のパフォーマンスを発揮できます。
大きなひとつの「家」として、配属先以外の利用するほかの方のことも知っておいてほしいですし、培ってきた分野での経験や知識を活かして「新たな」かかわり方を実践・発見する、皆でつくりあげていくという姿勢、気持ちがとても大事だと思っています。